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当社例祭は春祭と秋祭の丁度中間である7月14・15日の2日間に渡り、往古からのしきたりを守り厳かに執り行われます。
綴子の祭典は、氏子による大太鼓・獅子踊・大名出陣行列等の奉納行事として北秋田地方の夏を代表する祭りであり、当日は4里4方(1里で約4km)に鳴り響くという太鼓の音と共に、氏子の老若男女が神社の杜を目指して練り歩き、神社境内での奉納行事は年を重ねるごとに神賑を極める特殊神事でございます。
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その由来は北秋田地方第一の歴史を持つ旧綴子村開村の鎌倉時代(1262以前)と伝えられております。山伏神楽の流れを組む「獅子踊」は、氏子である先祖農民の氏神に対する篤い信仰心により生まれ、伝来継承されたものと伝えられております。「大名出陣行列」は戦国時代、武家が戦に先立ちて氏神神社に行列を組んで参拝し、戦勝祈願と武運長久を祈る姿になぞらえて継承されたものと云われており、江戸初期に時の藩主の公許奨励により年に1度の無礼講の日と定められて始まったもので、元禄(1688〜1704)の頃に獅子踊が廃絶したのを振起興隆し、「獅子踊」「大名出陣行列」に太鼓も年々改良され、面目を一新して今日に至ったものと云われております。
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古来より純農村として発展した旧綴子村でありましたが、広大な耕地に対して水源水路の便が悪く、農耕用水の不足に悩んでおりました。その為、古来より大太鼓の行事は雨乞いの神事として行われてまいりました。大太鼓の大音響を天上の雷鳴に似せ、氏子の切なる協力一致の姿で真心を捧げ、天上の龍神も感応して雨を降らすという素朴な強い信仰心より発し、盛夏の神事として悪疫退散・厄難消除の祈りが込められております。
我が綴子の優れた郷土芸能として、又祖先の残せる祭典行事として今日に至りますが特に文書や記録は無く、親から子へ子から孫へ古老から若者へと口づから手づから伝えられ、時代と共に若干の盛衰はあったものの、綴子本郷は上町(うえまち)下町(したまち)の2集落に分かれ、上町は徳川方に下町は豊臣方の出陣行列に3頭の獅子を踊らせながら、五穀豊穣祈願の為に氏神に先陣を競ったものでありました。
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この行事は元来、旧6月14・15日(現在7月14・15日)とお盆、又大豊作の年の秋祭(新嘗祭)等にも行われておりました。例大祭の2日間は綴子地域における年間で最も盛大な日となっており、社殿での神事は氏子多数参列の下、雅楽の音も雅に厳粛に斎行されます。上町下町の奉納行事は先陣争いが激しくなった為、昭和5年以来隔年交代で行われております。
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宵宮祭 7月14日
午後7時執行
午後8時より当番氏子奉納行事
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例 祭 7月15日
午前11時執行
正午より当番氏子奉納行事
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綴子本郷の上下2集落は当時の対抗勢力を模して、上町は葵の御紋をきざした徳川方(江戸以前は源氏)、下町は千成瓢箪の纏いを馬印とした豊臣方(江戸以前は平家)であり、それぞれ槍・弓矢・鋏箱等の道具持ち、露払い太夫、侍等100名程の行列を組みます。青年若衆の装束も絢爛豪華で家紋入りの化粧回しの奴達、陣笠被り2本差し麻裃の武士、烏帽子大紋長袖の太夫の指揮により笛太鼓のお囃子も賑々しく、棒術と奴踊に3匹の獅子を踊らせ氏神に先陣を競い、例え親族親子であっても挨拶を交わさない程に激烈を極め、現在は1年交代ではありますが神具装備その他の競争も激しく、特に先陣争いの意地の張り合いが太鼓の皮の張り合いになり、日本一・世界一の綴子大太鼓が出現したのであります。
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この大太鼓は形・音・重さ・鼓手(太鼓の叩き手)数等に於いて共に日本一と云われ、北秋田地方を代表する伝統郷土芸能となっております。現在上町の3,80mが最大でありますが、下町の3,71mがギネスブックに認定されています。この小山のような太鼓は片側だけでも上に4人、下2人の計12人の鼓手が必要で、その重量も2t程ございます。両集落共この大太鼓以下3番太鼓までを所有し、製作費も全て各自治会氏子で賄っております。
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7月14・15両日当番集落集合場所にて各々準備、時刻整列して出陣行列を組み笛太鼓の囃しと共に進み綴子神社社前に進みます。
社殿での神事終了次第、先ず神社向拝にて自治会長以下お祓いを受けて玉串拝礼、棒使へ(通称ヤツパレ)の打ち込み、露払い太夫の口上挨拶、奴踊(扇奴・綾奴・扇綾奴・空手奴・綾空手扇奴15種位)、獅子踊、棒使へ(打込み3種)、棒術(5種位)と続き、最後に神前に一礼をして神社での奉納行事は終了となります。
大太鼓の打ち方演奏は行事の前奏、間奏として行われております。
大中小太鼓一勢の大奉奏は正に雷鳴の如く天地四方に轟き渡り、天上の神も感応して雨降らすと信じられ、神も人も皆罪穢れを吹き祓われて、境内は緊張した雰囲気の内に棒使への打ち込みから始まり、次々と華麗優美の踊物へ獅子踊は勇壮軽妙その極みに達し神人一致の境が醸し出され、特に宵宮祭の奉納行事は静寂な夜のしらべにかがり火を焚き、現代から悠久の時を偲ばせ幽玄幻想に酔いしれる往古以来の奉納行事でございます。
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